Tales of Verifier

テストエンジニアが自分の将来に不具合が起こらないことを確かめ合うRPG

ゆとり世代の救いの書『「やりがいのある仕事」という幻想』


この本を読んだときに最初に思ったのが「助かった」の一言だった。
読みすすめるうちにどこかでなにかが軽くなった。
著者の森博嗣は

この本に書いてあることは、一言でいえば「身も蓋もない」ことである。

と言っているものの、もうそれでもいい。

子供の頃に見聞きした弱い大人たち

小さいころに大人社会に対して、納得出来ないことがあったり、反発心を抱いたりするのはたぶん誰にでもあったはず。
親に言われた覚えはないけれど、テレビかなにかで頻繁に聞いた「大人は大変なんだ」とか、大学生になっても聞いた「社会は甘くない」ということば。
これは、弱い大人が自分たちの地位を守るための虚言だったんだ。

子供には、「仕事は大事だ」「仕事は大変なのだ」というふうに大人は語りたがる。これはもう、単に「大人は凄いぞ」と思わせたいだけのことで、大人のいやらしさだと断言しても良い。  子供は、学校でけっこう苦労している。勉強も大変である。僕は、社会人のしている仕事の方が、学業よりも楽だと考えている。どちらかといえば、子供の方が大変だと思う。ただ、そう思わせては、子供も可哀相だし、大人もやりづらい。だから、やっきになって大人は「仕事の大変さ」を捏造しているのだ。

社会に出たら思ったより甘かったよ

学生時代、就活中にさんざん脅され、就職してすぐも新人研修でさんざん脅され・・・。そうして飛びこんだ「社会」は、脅されたのとはまったく違う「甘さ」があった。
正直「よくここまでやってこれたな」と思うようなダメな人間もいたし、意思決定が遅い場面もあったし、頻繁に遅刻してくる人もいた。そんな人間たちでも、世の中わたってこれたんだから、聞いていたより世の中は「甘い」んだと思った。
あんなにビクビクした学生時代は何だったんだ。 *1

「やりがいを見つけなきゃいけない」という視野狭窄

そんな脅しのなかに含まれているというか、いつの間にか植え付けられている観念があって。
それが「やりがいのある仕事」なんじゃないかと。
白馬の王子さまのように、どこかに「やりがいのある仕事」があって、人はそれを追い求めねばならない、みたいな。でも本のタイトルのとおり、そんなのはないよねと。
森博嗣曰く、それは探すものではなく作るものだという。

人生のやりがい、人生の楽しみというものは、人から与えられるものではない。どこかに既にあるものでもない。自分で作るもの、育てるものだ。  子供の頃にその育て方を見つけた人は運が良い。なかには、せっかく見つけたのに、大人や友人たちから、「そんなオタクな趣味はやめろ」と言われて、失くしてしまった人もいるだろう。そう、やりがいとか楽しみというものは、えてしてこのように他者から妨害される。周囲が許してくれない、みんなが嫌な顔をする、もっと酷い場合は、迷惑だと言われてしまう。でも、自分はそれがやりたくてしかたがない。このときに受ける「抵抗感」こそが、「やりがい」である。その困難さを乗り越えることこそ、「楽しみ」の本質だと僕は思う。

ゆとりでも充分やれるから、世の中楽しいってとこ見せよう

ゆとりって揶揄される世代だけど、個人個人で見れば世の中で勝負していける人間のほうが多いと思う。少なくても自分の近傍ではそう。妨害してくる他者もいるけれど、ちゃんとした人間に対して世間は「正当な優しさ」も持ってる。
だから、それなりに真面目に働きながら、「やりがい」のある楽しいことを作って育てていこう。「社会人になったら遊べない」なんて散々脅されて、みんな学生時代に無駄に旅行に行ったりしてたけどさ、エクストリーム出社とかいい意味でバカやって遊んでる楽しそうな人もいっぱいいるし。
「やっぱオトナは最高だぜ!」って言いながら楽しそうに生きてるところを子どもたちに見せられる、そんな生き方がしたいですよ。しようよ。

「やりがいのある仕事」という幻想

「やりがいのある仕事」という幻想

*1:一応フォローしておくと・・・周りには素晴らしい人もたくさんいるし、そういったまともで優れた人たちのおかげで世の中の甘さを享受できているんだとも思っています。お世話になっております。